素描

ゴキブリの足音を聴いた朝(1)

2021.11.3  中村沙絵



古民家

ほんとうによく、生きものが出没する家だった。

築年不詳のその古民家は、京都市のはずれの山のふもと、由緒ある邸宅街の一画にある。瓦の下にしかれた銅板は錆びて劣化し、古びた焼杉板の外壁はところどころ反(そ)りかえっているが、その佇まいは厳かな屋敷風だ。高々と茂った百日紅(さるすべり)には白い花が咲き乱れ、椎や杉の樹が程よく影をつくっている。松の木や木斛(もっこく)、馬酔木(あせび)に囲まれて、涸池まである。観光客が道すがら、とても素敵ね、と写真を撮っていく。

「とても素敵だけどさ。到底私たちの手に負える代物ではないよ」。引越し先として夫から紹介され、この家を見学しにいったとき、私はそう言って元のマンションに留まり続けようと交渉した。しかし、子どもの小学校が比較的近いこと、「庭の手入れは僕がやるから」と言い張る夫の気概、そして、いわゆる京都らしい風情ある暮らしへの淡い憧憬の念もあって、結局、引越しに踏み切ったのだった。

案の定、庭の手入れは最低限にしかできなかった。徐々にすさび荒れ、特に夏などは大変な有り様だった。ずぼらな私たちは、たまに思いついたかのように草刈りをするくらいのもので、品格ある樹々はその本来の生命力を自由に発揮して想い想いに伸びた。ドクダミ、ヌスビトハギ(いわゆるひっつき虫)、カラスノエンドウなどの強力な後援もあって、近所の雰囲気には似つかわしくなく、非常に野生的な庭になった。

こうして私たちは、何だか自分たちには不釣り合いなほど立派で、大きく、そしてワイルドな家に暮らすことになった。居間や台所から臨む庭の景色は季節の移り変わりを感じさせ、家事や仕事で余裕のなくなった私の心を静かに癒してくれた。鳥の鳴き声で起き、虫の鳴き声を聴いて床につく暮らしを、特に都会育ちの夫は愛した。子どもたちは、庭に生い茂るヒメジョオンやらを摘んではガラス瓶にさして飾り、そこら中を飛び回るバッタを捕まえては、手をするりと抜けだしていくのを追いかけた。しかし、私の印象に強く残っているのはそんな情趣ある場面(だけ)ではない。しばしば何者かが不意に侵入してくるその古民家は、壮絶なドラマが静かに繰り広げられる場所でもあった。


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虫たちの洗礼

都会・郊外育ちの無知な私たちを待ち受けていたのは、虫たちの洗礼だった。ぐねぐねした節だらけ・足だらけのその物体は、まず二階の寝室にあらわれた。情けないことに、初めはそれが「百足(むかで)」であることすら認識できなかった。ただただその形状と動きに慄き、大量のティッシュで叩いた。叩いてもたたいてもまったく効かないばかりか、かえって激しく動き回るその姿に、くらくら眩暈がした。

「あれはね、火であぶるしかないんだよ…」「長い火箸を這い上がってこようとしてね…」。知り合いからあれやこれやの体験談を聞くにつけ、私たちは本格的な戦闘モードに入っていった。あるときはベッドの隙間に、またあるときは居間に寝転んだ私たちの鼻先に、彼らは突如としてあらわれた。いつからかうちでは、「凍結スプレー」が必需品となった。数秒続けて噴射するとムカデは動かなくなり、片方からさーっと白い霜がおりるように変色していく。私たちは躊躇なく、ひたすら彼らを凍結し、割りばしでつまんでは外に捨て続けた。

ムカデの出現率が減ってきたと思うと、しかし、今度は別の侵入者がやたら目につくようになった。畳と畳の隙間から、「ヤモリ」が音もなく出てくる。しとしと雨のふる朝には、ダイニングの畳に「ナメクジ」がペタッと黒い点をつくっている。雨が降り続くと、まるでノアの箱舟に乗ってやってきたかのように、「小アリ」が大量発生する。子どもは「ナメクジくん」なんて、余裕のある対応をしている。確かに彼らは、ムカデに比べれば害はない。「アリくらい、どこにでもいるから気にすることないよ」。私も平静を装い、アリを指でつぶしまくる子どもを偉そうに諭したりした。

しかし、あまりにしつこかった。いつまでたっても足元をちょこまかと動き回る小アリの群れに、台所を、家を乗っ取られたような気持ちになり、私は徐々に嫌悪感を募らせた。梅雨が明けたある日、私たちはアリ退治用の薬をはじめて購入し、台所や居間にしかけた。濃いピンクや黄緑の、花形や葉型を象ったプラスチックに入ったその毒は、巣ごと退治するだけの強い威力をもっていた。しばらくすると、あれだけしつこかったアリたちは、ぱたっと出てこなくなった。


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「益虫」が怖い

虫たちの洗礼をうけ、少なからずこれに気を揉んでいていた我が家にとって「益虫」[1] は大いなる味方となる――はずだった。だが、字義通り「身の毛のよだつ」思いをしたのは、むしろ益虫とされる者たちとの遭遇だったように思う。

「ゲジゲジ」との対面は忘れられない。皆が寝静まった晩、畳にじゅうたんをひいたその部屋で書きものをしていた私は、紙に焦点を定めていた目の端っこに何やら黒い影が動くのを感じた。ふと顔を向けると、そこには、長すぎて鋭角に曲がった何千の足(百足(むかで)よりも遥かに衝撃的な「足」だったのだ)。波を打つように連動して動く長く細い足は、太い胴につながれてゾワゾワとうごめいていた。私は家中に響く太く短い叫び声をあげ、後ずさりした。即座に『足がすごい 家に出る』とスマホでその正体を探る。益虫と知って少しはほっとしたものの、いやしかし、その形状に、波を打ってうごめくその体躯に耐えがたい気味悪さを感じて、鳥肌が収まらない。大声に驚いて起きてきた夫に、その始末をおしつけたのだった。

迫力では「アシダカグモ」が勝(まさ)っていたか。色はくすんだ茶で毒々しい感じはしないが、ただただでかい。足を含めると、子どもの顔は優に覆いつくしてしまう。またこれが、縦横無尽にとにかく速く動く。質量感もあるので、障子やふすまの上を通るときには、ダダダダダダダダと、ただ事ではない音を響かせる。視界に入ってきたときの衝撃は筆舌に尽くしがたい。身がすくんで、動けなくなる。この巨大クモが、ときにはネズミまでも(?)捕食する強力な「益虫」であるという情報を入手した私たちは、はじめは名前をつけるまでして、共生を試みた。しかし、いつどこに出てもおかしくないその存在は、まるでパノプティコンが囚人の精神/身体を支配するように私の世界を支配してしまった。朝窓をあけるとき、食事をつくるとき、トイレに行くとき、私はその質量感のある胴と足の気配を常に感じていた。歩く(=視界がひらける)度に身体が緊張するのだ。落ち着かない日々が続いた。結局、この初対面のアシダカグモも悲しい顛末を迎えた。つぶされてぐちゃっとなった死骸は、思ったよりも小さく、どこか頼りない感じがした。

 

極めつけはネズミだった。どうやら台所にあるクーラーの室外機から中へ入ってきたようだった。黒っぽくて、手のひらより大きい位だ。ところどころ何か嫌な臭いがしていたのは、そのし尿だったのかと気がついた途端、私の中で何かがプツンときれた。台所に入って調理をすることが億劫になり、うちでは数日、弁当や外食が続いた。

週末、意を決してDIYの店に行った。効くかどうかよくわからないとりもちと、最も毒性の強そうな「毒だんご」を選んで購入した。設置して効くのを待った。

ねずみの気配が薄まってもしばらくは、帰宅する度に無意識に家の中のにおいを嗅いでしまう自分がいた。獣臭、尿臭、あるいは湿気のせいかもしれないが何か嫌な臭いを微量でも感知すると、私はすぐに暗く重たい、嫌な気持ちに引き戻された。毒を食したネズミが屋根裏で徐々に弱り、死骸になって、腐敗していく像が頭を離れない。家がネズミに飲み込まれてしまったかのような、私がその体内に入ってしまったかのような感じがした。なかったことに、見なかったことにしたい。始末をしたことすら忘れたい。いくらそう思っても、嫌な余韻は簡単には消えなかった。



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[1] 「害虫/益虫」とは後述するとおり決して自明ではなく、恣意的な区別なのだが、家の中や畑に出てくる「害のある虫(毒をもって攻撃したり、作物を荒らしたりする)」を捕食してくれる虫たちを指す。