素描

腐臭の境界(1)

2022.1.3  福永真弓




※ この文章には、鶏の解体に関する文章が含まれます。不快に思われる方はあらかじめ読むのをやめておくことをおすすめします。



鶏を解体する

ぶち、と切れた感触が手に伝わって、ああ、と口からため息と間抜けな声が漏れた。北カリフォルニアの自営農場で、せっせと鶏を解体していた時のことだ。フィールドワーク調査のため間借りし始めて、一月ほど経っていた。その日はクリスマス用の七面鳥と鶏を締める日だった。雨がちな冬に珍しく、素晴らしく晴れていた。農場のある高台から見渡せば、太平洋の向こう側さえ見えてきそうな空の明るさだった。解体びよりだ。

早朝からはじめて4羽め、今朝締めた分はこれで終わりだったから、ちょっと油断したのかもしれなかった。ぶち、という嫌な感触の後、開いた肛門から入れていた手が、どろりとした腸の内容物に触れた。腸を破ってしまったのだ。慌てて、しかし慎重に手のひらでその部分をくるみながら、臓物ごと手を引き上げた。手を入れてぐるりと腹腔内を探って内臓とその膜を確かめたときは問題なかったのに。きっと、ぐっと臓物を引っ張るところで失敗した。とにかく腸の中身が他に触れないようにしながら、他も急いで掻き出す。胆嚢が傷ついていないかも確認する。緑のそれはとにかく苦いので、絶対に破くなと教わっていた。

幸いなことに、腸の中身はわたしの手のひら以外にこぼれていなかったし、胆嚢も無事だった。きれいに腹腔を布巾でぬぐった。レバーは腸の内容物にまみれてしまっており、ちぎれていた。砂肝、心臓は大丈夫。手とナイフをきれいに洗って、手早く切り取った。その他の内臓は廃棄用のバケツに入れた。

 作業台の上をきれいに拭き終わった頃、家主のジェーンとデイビッドがポーチの向こうからやってきた。二人は処理済みの七面鳥を1羽ずつ抱えていた。クリスマス用だから、もちろん丸のままだ。 

二人にちょっと失敗した、と伝えると、じゃあ肉の様子を見るから、そっちのバケツをお願いね、とジェーンが指さした。アルミのバケツ二つに、血、羽、脂肪、使わない臓物などコンポスト行きの廃棄部位がたっぷり入っていた。もともと、砂肝や心臓、首肉,尾羽のところの肉もそこに捨てられていたが、わたしは解体時に自分用に確保し、美味しくいただいていた。なんたって、焼き鳥用語に翻訳すると、砂肝の他、順に、ハツ、セセリ、ぼんじりだ。食うだろう。捨てるなんてもってのほか。近所の人たちには眉をしかめられていたが、二人は面白がってわたしの好きにさせてくれていた。ジェーンに至ってはわたしの作った砂肝のコンフィを好むようになっていた。

今回もいただいた臓物たちを手早く別のボウルにまとめる。今朝からずっと、頭上を猛禽類やカラス、カモメたちがうろうろしていたから、油断は出来ない。見るからにつやつやして美味しそうな臓物なのだ。殺して捌いたばかりの鶏は抜群に味が良い。やらんぞ。心の中で頭上の鳥たちにけんかを売る。

ついでに砂肝を開いて銀皮と呼ばれる白い部分も取り除いた。気分は、小学生の頃に憧れた小説、『大きな森の小さな家』の主人公たちだ。豚を締めてソーセージやハムなどに加工する時、ローラとメアリーは父さんに豚の尻尾をもらっていた。ローラとメアリーは、それに鉄の串を刺して、たき火であぶって、じりじりと脂が出て焼けたところに塩を振って食べるのだ。子供心に、まあなんて美味しそうなんだろう、と思ったものだった。その鶏バージョンを今日楽しめる。ぼんじりは豚の尻尾よろしく火であぶるとして、他はどうするか。

鼻歌交じりに廃棄部位の入ったバケツに近づくと、むわっ、と強い匂いに包まれた。わたしの手もエプロンも、鶏の皮と脂肪、血、それ以外の分泌物にまみれていたが、わたしの鼻は早朝からの作業でその匂いに慣れきっていた。わたしの身体を包んだのは、思わず身体がちょっとのけぞる臭さだった。バケツの中で羽、血、臓物、脂肪、鶏糞などが入り交じったものは、人の吐瀉物のように、その匂いを嗅いだ人に嘔吐を催させる不快な匂いに転じていたのだ。

いつも不思議に思っていた。鶏を締め、解体をし始める時には、不快さを催させる匂いはそれほどしない。もちろん、首を切り落としてぶら下げたときに流れ落ちる血も、湯につけて羽をむしるときの羽も、内臓を抜く時の皮や脂、分泌物、それぞれの臭気を放っている。それでもまだ、その匂いは、生きた鶏の一部にそれらがあるときの、延長上の匂いであるように思う。わたしが破ってしまった腸からはみ出たのは、甘い穀物の蒸したような匂いと鶏糞の匂いが混じった、黄緑と黄土色の半固形物だった。吐き気を催すようなものではない。しかし、作業が終わりに近づく頃には、血も臓器も、その中身も、不快な臭気を生み出し始める。わたしが両手に抱えたバケツの中身のように。

わたしはうっかり転んだり、中身を跳ね上げてズボンに飛沫を飛ばしたりしないように、慎重に歩いた。庭の一角にしつらえたコンポストの前にそっとバケツを置き、ひっくり返らないか位置を確認してから、スコップでコンポストを掘り始めた。長靴に熱が伝わってきた。だいたい50度から60度ないといけない。ちょうど良さそうだった。

二つのバケツの中身を違う場所に空け、ウッドチップや藁とまぜ、その上にさらにウッドチップと藁で厚く蓋をした。蓋をしないとアライグマがやってきて掘り返すのだ。農場で働くようになって、日本語でラスカルの異名を持つファニーフェイスの四ツ足動物は、ひよこを遊びのためだけに殺す、器用でずる賢い、わたしの永遠の天敵に変貌した。奴らの好きにはさせん。五本指の器用なあくどい隣人を思い浮かべてチップと藁を盛った。作業は捗った。

最後に表面をならして一息つく。斜面に張り付くように立っている母屋の向こう、海からざーっと暖かい風が渡ってきた。裏の林の方からやってきていた、ヒンヤリした空気が押し戻されていく。こんもりと盛り上がった別のコンポストからあがった湯気も風がかき消した。そこはサンクスギビング用の七面鳥の残余が埋められたところだった。近寄ってちょっと掘り返してみる。うまく発酵してくれているようだった。臭くはない。数週間前に解体され、腐臭を同じように放っていたはずの七面鳥の残余は、甘い、そして深く濃密な堆肥の匂いに転じ始めていた。そう、腐臭から堆肥臭に変わったのだ。長靴の先はこちらの方が熱かった。今日埋められた鶏の残余も、いずれこうして堆肥に変わっていくだろう。バケツにこびりついた血を水で流し、コンポストに注ぎ込む。

すべて世はこともなし。世界がまるく、ゆっくり回っている気がした。風も、土も、鶏たちも、そしてその残余を埋め終えた自分も、こちらを狙って頭上を回る猛禽類も、どこかで鼻をひくつかせているかもしれないアライグマも、コンポストの微生物たちも、ひどく呼吸の合った舞台にいるような、そんな冬の日だった。


腐臭の境界

生きものの匂いは、その生きものの死を経て、腐った匂いとなる。コンポストのように、バクテリアと化学反応で適切に処理されると、腐敗と感じるものとは別の「もの」の匂いになる。もともと人間の身体は、無数の生命現象のコロニーみたいなものだ。一つ一つの細胞も、集団としての臓器も、そのコロニーをまとめる大きな生命現象としての鶏のもとにある。日々、私たちの身体の中の細胞は死に、いくらかの細胞の塊は頭皮のふけのように体表から剥がれおち、脂や汗と入り交じって垢となり、口から入った食物のなれの果てと一緒に肛門から出ていく。わたしたちは身体から離れたそれらを、饐えた匂い、悪臭だと感じる。

だが宿主が死んだコロニーのなれの果ては、日々のそうした悪臭よりも遙かに強烈な匂いを放ち始める。鶏が死ぬと、コロニーのメンバーだった細胞も臓器も、属するコロニーから投げ出され、生命現象を支えてくれた場もつながりも失う。もちろん、みずからの生命現象も失う。その遺骸をめぐってバクテリアの活動や化学反応が始まり、人の目から見れば「腐り」始める。藤原辰史が腐敗と分解をめぐって思考した『分解の哲学』(2019)に印象深く記述されるように、始まるのは生命現象が集まる、騒々しく活発な新しい祝祭だ。

他の生きものたちにとっては、新しい祝祭、コロニー形成の始まりだが、人間にとってそれがどういうものかは別問題だ。コンポストに埋め込んだ臓物は、人間がわざと分厚くした別様の生命現象のコロニー、有用な堆肥になるためのバクテリアと化学反応を推進する装置に巻き込まれ、人間によって注意深く見守られ、堆肥に転じる。

ではそうして見守っているときに、目の前の新しい生きものたちの祝祭的集合が人間にとっていいものかどうかは、どう判断されてきたのか。

匂いである。

コンポストの具合を確かめようとも、舌で確かめることは出来ず、耳も同様である(堆肥の味や音を聞き分ける強者もいるが)。ぬめり具合などの触覚、液だれや色、形状などの視覚の情報も重要だが、中でも嗅覚はしごく大事な指標となる。うまく発酵が進んでいないコンポストからは腐臭がする。液だれを確認できるようなものは、相当匂う。鼻を覆いたくなり、吐き気すら催す匂いだ。瞬間的に顔をそらし、鼻をつまみたくなるような、腐臭としか形容できない匂いがする。堆肥作りとしては失敗だ。そんなときは、もう一度おがくずや藁を敷き込み、水分を足したり引いたりして、また高温になったら切り直しをすればなんとかなる。上手くいけば、腐臭は堆肥臭に転じてくれる。匂いは、コロニーが想定と違う方向に進むのを引き戻すための大切な指針なのだ。

そもそも嗅覚は空気中を飛ぶ微量の匂い物質(化学物質)を受容して「匂う」ものだから、視覚とは異なる領域にある多くの情報をわたしたちに教えてくれる。匂い物質は、生きものの個体の生育や生命を維持するための、普遍的で種に共通する一次代謝によってではなく、それに付随して各生物種固有の有機化合物群を生み出す二次代謝経路の産物によって多く生まれる。だからこそ生きものの祝祭は雑多に匂う。

匂い物質が鼻粘膜に到達すると、匂いを感じる嗅細胞の先端にある無数の嗅繊毛がその物質を受け止める。匂い分子の違いを識別する嗅覚受容体が匂いを感知し、そのデータが嗅球を通って大脳へ送られる 。そこから、記憶を呼び起こして匂いを特定する海馬、情動的に快不快を決める扁桃体、ホルモンの分泌を行う視床下部に伝わる (東原 2007)。

匂い物質の需要からデータの伝達過程が起こる場所が海馬、扁桃体、視床下部と近く、ゆえに、嗅覚は、記憶や感情、身体の反応と親しく結びつく。その匂いに関する快・不快の情動と経験が匂いの感知と共に記憶され、再びその匂いの情報がやってきたときに直ちに想起される。こうした嗅覚のメカニズムゆえに、この感覚は視覚、聴覚よりも「本能的・直感的なもの」とみなされ、長らく西欧社会では動物的な領域に封じ込められてきた。感覚を重視して経験論を語ったフランスのコンディヤックすら、人間が認識や知識を得る上で最も寄与しないのが嗅覚であるとみなしていた(コンディヤック 1949)。

しかも、現在の科学技術をもっても、人の嗅覚情報の記録と再現は難しい。視覚は青,赤、緑、白の4種類の光受容タンパク質に由来する情報からなる。写真で誰しも見たことがある、RKBと明度が視覚の表現を可能にする二つの支柱だ。しかし嗅覚の嗅覚受容体は400にのぼり、複数の受容体にまたがって表現される匂いもある複雑極まりない情報がやりとりされている。その記録も再現も至難の業なのだ。視覚のようにわかりよい科学言語で一般化できないから、より「本能的・直感的なもの」だと思ってしまうのも無理はない。

こういう言い方をしたり聞いたりしたことがある人も多いだろう。匂いを嗅げばその食品が傷んでいるかどうかわかるよ。だって、嗅覚は、人類に普遍的な毒性やリスクを本能的に嗅ぎあてられるようになっているから。こうした本能的・直感的なものと嗅覚を結びつける、素朴な信奉も根強い。

他方で、個人的な経験と記憶に根深くつながっているがゆえに、きわめて個人差も大きい。そして言うまでもなく、文化的なフレームを反映する社会的構築物でもある。納豆の匂い、山羊汁、くさや、ウォッシュチーズ、それぞれある集団において慕わしい匂いであっても、集団外の人にはとんでもない悪臭だ。およそ口に入れることが出来ない腐臭とさえ感じる人もいるだろう。実のところ、たとえその集団に属していても、その匂いとの近しさには個人差もかなりある。

個人差と文化的なフレームを強固に抱え、しかも本能的・直感的にも語られる。嗅覚はそのような複雑な感覚なのだ。

さらに、嗅覚は社会的差異の境界線も引いてきた。歴史家のA. コルバンは、フランスにおいて気体化学が飛躍的に発展した18世紀半ばから、腐敗研究から微生物・細菌学へと歩を進めたL. パストゥールが科学界を塗り替える諸発見をするまでの間に、嗅覚をめぐる知的革命が起きたことを指摘している。彼によれば、この時期、病因とみなされていた瘴気への恐怖から、瘴気の所在を示す悪臭の追放が社会の目標となった。そして、そのための身体・環境管理を行う公衆衛生学が成立した。糞尿や汗の匂いを悪臭と嫌悪し、花や香水に快を感じるように、人びとの知覚と感性は再編され、公衆衛生学の科学的言説を生活規範として内面化していった。

除臭化されたブルジョワジーの身体とその私的・階級的空間では、香りに関する欲望と快楽が新たに形成されていく。視覚においては絵画、聴覚においては音楽が感覚に特化した芸術となってきたように、嗅覚においては香水や味覚と直結する匂いが洗練され、その快の高度化と芸術性が求められてきた。他方で、悪臭のイメージと不衛生・無教養といった評価が、逸脱する人びとや社会外にあるとみなした人びと、下位の階級にあるものたちに付与され、悪臭まとう身体をもつ不潔な存在へ構築し直していった(コルバン 1990)。日本においても、近代化に伴う公衆衛生学と社会生物学の輸入・摂取が行われた。それまで腐敗と発酵の過程は、その過程を社会的に統制したり担ったりしてきた人びとも含め、社会の暗部や改善すべき対象とみなされた。その過程も携わる人びとも、モノも、法と警察の力で取り締まる対象とされ、なおかつ不可視化されていった(藤原 2019)。臭い飯、銅臭など、社会からの逸脱や、他者を差異化し揶揄する言葉で用いられるのも特徴的だ。

腐敗とは何か。ながらく、匂いを頼りにわたしたちはその意味を模索し、あるいは付与し、境界を引いてきた。死を契機に集まり始めるコロニーの性質を手探りし、危険はないか、集落のそばにおいてもよいのか、有用な何かに変えることが出来るのか見いだしてきた。近代を経て、その探索は、「無臭の生活環境」を良いものかつ目指すべきものとして、その要因となるものを、あるいは悪臭を発するとみなしたものを囲い込み、疎外してきたのである。



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