回研究会 開催概要

回の「汚穢と倫理」研究会は、比嘉理麻著『沖縄の人とブタ:産業社会における人と動物の民族誌』(2015年、京都大学学術出版会)の書評会をおこないました。ブタへの嫌悪と豚肉への嗜好性を同時に考えていくというアプローチ、「におい」をめぐるさまざまな感覚やはたらきかけへのていねいな視線、屠殺の恐怖を遠のけるための工夫が産業化された現場でなお見られることについてなど、本研究会にとってヒントとなる記述と洞察にあふれた著作です

今回も、著者である比嘉理麻さんにゲストとしてお越しいただき、調査や執筆のなかで感じていたことや、著作のなかでは書ききれなかったこと、その後の展開などについて話題提供してもらいました。畜産業の枠組みに生きる動物と、その動物たちの世話や管理を行う人間との多様な関係についてもお話しいただき、生物を殺して食べるということが自分たち一人一人にとってどのような出来事であり、体験なのかを、熟考する機会となりました。

第4回研究会(ワークショップ)にひきつづき、今回も出村沙代さん(株式会社たがやす)にグラフィック・レコーディングをお願いし、ことばのやりとりのなかで流れていってしまうものを、あわせてグラフィック化していただきました。 


 

  日時: 2022515日() 14時〜

  ゲストスピーカー:比嘉理麻さん

(沖縄国際大学、『沖縄の人とブタ:産業社会における人と動物の民族誌』著者)

  場所:  京都大学人文科学研究所

 

プログラム

14:00 研究会開始 参加者自己紹介

14:15 ゲスト比嘉さんよりお話いただく

14:45  ディスカッション

15:15  休憩

15:25  ディスカッション再開

17:00  閉会


グラフィック・レコーディング:出村沙代氏(株式会社たがやす)


※)本研究会は、サントリー文化財団 2021 年度研究助成「学問の未来を拓く」の資金援助を受けて開催されました

 (助成課題名「汚穢の倫理:ケガレの社会的・環境的次元、および倫理の身体的・日常的次元」)

出村沙代さんによるグラフィック・レコーディング

第5回研究会レポート

5回目の研究会は人類学者である比嘉理麻氏をゲストスピーカーに迎え、氏が執筆した『沖縄の人とブタ 産業社会における人と動物の民族誌』(2015、京都大学学術出版会)を取り上げ、著者を交えての討論を通して、汚さの新たな側面を掘り下げる機会となった。氏の著作では沖縄における産業化した養豚の重要な場所である養豚場、屠殺場、小売市場でのフィールドワークをもとに、産業社会下での人間・家畜の関係性、豚の存在が引き起こす汚さ・悪臭、そして肉の生産・消費の変化が探求されているが、研究会ではそのような著作の論点に触れつつ、さらに広くそれぞれのテーマについての著者の意見を聞くことができた。本レポートでは、比嘉氏と研究会のメンバーの間で行われたさまざまな議論の中で、いくつか印象に残った点について纏めていきたい。

比嘉氏は自身のフィールドワーク調査で目のあたりにした、豚の悪臭をめぐる養豚農家と村人の葛藤に関する話しから発表をはじめることで、生産者・消費者、養豚場・村、豚・人間といった、沖縄における養豚産業において生じるいくつかの「隔たり」を指摘した。さらに沖縄と豚の関係性の歴史を検討する中で、特に各家庭の庭先で行われていた養豚から専用の豚舎での飼育へという変容に注目し、人間と豚だけではなく、人間どうしの関係性も変化していったことを説明した。人間・豚の関係の変化は、豚が屠殺・解体の過程で「脱動物化」されることや、飼育において「モノ化」されるようになることなど、「親しみ」から「隔たり」へと人間と豚との関係性を再構築することになると指摘された。その論点については研究会メンバー間のディスカッションでも、他の動物との隔たりがどのように維持されているかについての討論がなされ、屠殺の現実を曖昧にするために、家畜と関わる組織名に言語的な婉曲がなされていることや、豚の動きを制限し大量生産に必要な仕組みである豚舎ケージを事例として人と動物とのアイコンタクトが阻害されていること、それによって他種との親密な関係性が生成されていないことなど、様々な点が示唆されている。

また、企業的な養豚場に関する説明を通じて、生産・消費、豚・人間の物理的、象徴的な隔たりをめぐるディスカッションへと進んだ中で、どこまで感情的な関係性が生じうるのか、遮られているのかが問題点としてあがった。「可哀そうという気持ちがわかないような仕組みになっている」と、比嘉氏が指摘したように、豚舎の設計や養豚場で行われる活動においては、作業の流れを阻害しうる感情を抑制するような構造が見られるが、それでも豚に対してわく感情や、豚に読み解く感情が研究者、作業員にみられたという。それは、家畜をモノ化する限界を指摘すると同時に、いくら隔たり(生き物ではなく家畜としてみる場合の豚と人間との関係性の壁であれ、関わることによって生じる悪臭の回避であれ)を構築しようとしても汚染するもの、されるものとの隔たりを完全に埋めることは不可能であることを物語るのではないかと思われる。 

比嘉氏が説明した人間・豚の関係性の変容について、ディスカッションでは汚さ・衛生の文脈からさらに進んだ議論がなされた。その中で、「悪臭」、養豚の在り方、そして汚さとの関係性が問いただされ、どのように「匂い」は「悪臭」になる(される)か(身近な空間から排除されることで、または匂い自体が時間の経過につれて変化することで)、悪臭は他の匂いからどのように区別されている・されていないか、そして悪臭に対して物理的にどのように反応するかが話されていた。豚の産業は衛生観念とも関連付けられており、小売市場で求められる衛生規則と消費文化がどのように関わってきたかという側面に加えて、沖縄における衛生観念の浸透に関しては沖縄・アメリカ、沖縄・本土の関係、つまり、政治的な角度からみていくことも必要であるという指摘もあった。

最後に、動物と人間が基本的に隔てられており家畜などの生(そして、死)が「不可視」である社会を前提としないような、新たな人間と動物との間の倫理について、討論が活発になされた。比嘉氏は発表において、種としての人間・動物間という、抽象的な関係ではなく、特定の文脈におけるある人間が、ある動物に対して「類似している」と知覚する経験、つまり、個別的な関わり合い(動物を殺すということまで)をもとに構築される倫理観を描いた。メンバーの間でも、人間と動物の関係性に対する二分法的な理解とも関連付けられた。つまり、「愛玩」されているペットのような、その動物を殺すことが考えられないような親密な間柄と、産業化した養豚のように、完全にモノ化され親密性が排除された関係性、という2種類の関係しか想定しないような考え方を乗り越え、食肉用の家畜にもいくつかの形の親密性を認める必要性が指摘されたのである。

他種との基本的な関わり合いが限られている現代社会において、家畜との日常的な関与を増やすことが現実的であるかどうかは別として、研究会のメンバーによって指摘されたように、他種との関係性をめぐる倫理的なジレンマに取り組むには、比嘉氏のような丁寧な実地調査に基づくエスノグラフィーが不可欠であること、それを通して「経験内在的な倫理」に注目することの重要性が今回の研究会で明らかになった点であるといえよう。

(文責 Oscar Wrenn, 2022.7.22)