第3素描
ゴキブリの足音を聴いた朝
2021.11.3 中村沙絵
2021.11.3 中村沙絵
都合のいい言葉
「素敵な古民家」での暮らしは、このように、矛盾に満ちた試行錯誤の繰り返しであった。気味の悪い「害虫」を容赦なく殺せば、別の小さな虫が沸きでてくる。かわいいもんだ、と強がって受け入れようとするが、嫌悪感をおぼえた途端に処分する。突如、彼らを捕食する虫が「益虫」として現れ、共存を試みる。しかしその存在感にも耐えられなくなれば、「益虫」はただちに「害虫」となり、私はまたこれを処分する――。
子どもたちには「その小さいクモは放っておきなさい」なんて諭しておきながら、途端に氷結スプレーを噴射し始める自分はとても滑稽だった。そんな自分をこそ「汚い」とも思った。「害虫/益虫」とはなんと都合のいい、恣意的で、勝手な言葉だろう。
環境史学者の瀬戸口明久(2014)は、「害虫」という存在は自明なものではなく、近代日本において歴史的に固定化・強化されてきたものだという[2] 。明治から大正にかけて近代農法が導入・普及されると、応用昆虫学の再編成とともに〈農業害虫〉が類型化され、化学の力で排除すべき対象とみなす態度が民衆にも広まった。特に第一次世界大戦から太平洋戦争にいたる流れのなかで、食糧問題の深刻化と近代農業の徹底化への要請、化学製品輸入の途絶と国内の殺虫剤産業の勃興、その開発過程への軍の化学兵器研究の貢献などが複雑に絡み合い、〈農業害虫〉の地位を確固としたものにしていった。また太平洋戦争の開戦によるマラリア問題の登場は、公衆衛生学や衛生昆虫学の進展へとつながり、ハエやゴキブリをふくむ〈衛生害虫〉の観念を普及させた。こうして、応用昆虫学が戦争を通じて国家の目的に合うよう再編成されるなか、近代日本における「害虫と人間の関係」は形成されていったという。
「害虫/益虫」の強化や種差別(speciesism)[3] 化が植民地拡大や人種差別が荒れ狂う大戦の最中に起きたことは単なる偶然ではないだろう。さまざまな種差別が科学的裏づけと共に制度化されていった背景には、土地や生命過程を極限まで搾取・利用し、あるいは我が物にしようとする人間至上主義的な空間の再編成があった。ある民族や人種を「害虫化」することは、その支配や排除を正当化する言説的手段となっただけではない。害虫駆除のために開発された毒は、こうして他者化された人々の殺戮に用いられたのだ。
ある意味、その歴史の延長線上に、氷結スプレーも、アリの巣コロリも、ネズミの毒だんごもある。「なかったことに、見なかったことにしたい。始末したことすら忘れたい」。私の感じた嫌悪感は、人間のおぞましい歴史と重なりながら、私を深いところでえぐってくるようだった。
* * *
揺らぎ
「害虫/益虫」という分類が恣意的である、というとき、そこに人間中心至上主義を読みとることもできるが、これとは別の解釈もできる。それは、この分類が主観的な部分を多分にふくみ、ゆえに認識(言葉)によって区分されつくす類のものではないこと、認識以前の、身体の次元での反応に依拠する部分が大きいことに由来する。たとえば家族の間でも、個人差がある(e.g. ナメクジは私は嫌だけど、子どもに任せられるから良し。大きいヤモリは夫を震え上がらせたが、私は見過ごせる等)。同じ人でも、過去や前後に遭遇した虫の種類・数、遭遇したときの経験の質、あるいは、その時々の状況や身体の調子、部屋のつくりや明るさなんかによっても、反応は変わりうる。意識し自覚する前の身体の反応によって大きく規定される虫への関わり方は、この揺らぎゆえに矛盾に満ちたものとなり(いくら「益虫」だと自分に言い聞かせても、その存在に身体がどうしても慣れず、処分してしまったように)、固定的な「害虫/獣」を想定する害虫駆除マシーンの枠組みからも必然的にズレていく。
このズレを自覚したのは、実はネズミの毒だんごを購入しにDIYショップに行ったときだった。周りには、「害虫/獣」退治のグッズが一面に陳列されていた。それらには、私があの家で遭遇したり見かけたりした、あらゆる生きものたち――ムカデ、ハチ、アリ、ヤモリ、ナメクジ、クモ、ゲジゲジ、ネズミ、ハト、ハクビシン等――が、「害虫/獣」と一括して総称され、顔のない黒いシルエットで、いかにも不気味そうに描かれていた。私はちくっとした違和感を覚えた。ネズミを早く処分したいと強く願いながらも、これは乱暴にすぎる、と思ったのだ。私たちは、これらの生きものを少しずつではあるが、経験的に知っていた。経験上の害虫と、害虫駆除の対象としての害虫とは異なるものであることを、ぼんやりとでも意識した瞬間であった。
古民家で過ごす時間には常に虫たちがいて、しかしそこには周期があることが次第にわかってきた。冬には静かだった彼らは、春の訪れとともに顔を出すようになったり、梅雨どきに間借りをはじめたりした。アリが大群でやってくるのは、やはり梅雨時と梅雨明けであった。食べている間に周囲をうろうろされるとやはり気になってしまうので、箒で外に掃き出してからご飯を食べ始めた。余裕もなくイライラしているときは、掃除機ですってしまったこともあった。しかし毒は買わなかった。それが行き過ぎた介入、もっと言えばむなしい努力であったからだ。梅雨が明けてしばらくすれば、それらはまたダイニングからは去っていった。
アシダカグモも、3度目、4度目と回数を重ねるにつれ、その存在を受け入れられることが増えてきた。その大きさに度肝を抜かれながらも、しかし私たちは、アシダカグモの出現が、他の虫たちの増加に引き続いたり、先行したりすることを経験的に知った。季節のリズムに沿って現れるアリとは違い、アシダカグモは、この家をとりまく生態系の複雑な営みを垣間見せるインデックスのようにふるまった。もう無理して名前などつけなくても大丈夫だった。やはり緊張はする。しかし彼がいるかもしれないと身構えればいいだけの話だ。厳しい上司がフロアにいるときのような緊張感とでもいおうか、「ここにいたんですね、失礼しました」そんな風に接することが徐々にできるようになっていた。身構えることと、身がすくむこととはまったく別だった。古民家の外に広がる豊かな生態系からみてみれば、あるいは、土をコンクリートで塞がずに、高床式にすることで通気性を維持するよう工夫されている家の造りからすれば、そこにさまざまな身体があらわれることはむしろ「自然」である。いつからか、そんな風に感じられている自分がいたように思う。
* * *
ゴキブリの足音を聴く
私がゴキブリの足音を聴いたのは、そんなときだった。
(あらかじめ断っておけば、ゴキブリはとても苦手だった。調査地のスリランカに滞在しているときは、「ほら私たちの友達がいる」なんて言いながら、スリッパをつっかけた素足で外に蹴りだすくらいの度胸があるのに、なぜか帰国するたびにゴキブリへの嫌悪感は増していった。当時はゴキブリへの嫌悪感は揺るぎないものに思われた。それは病原体回避行動を生み出すための心理的適応だとか、人間を遥かに超える生命力に本能的に忌避感を感じざるをえないのだとかいう眉唾な説明も、私には尤もらしく響いた。古民家に越してきたときも、それに遭遇した途端、無気力に襲われる程度には苦手だった。ホウ酸だんごのようなものは欠かさなかったし、見つければ容赦なく退治していた。)
ある静かな、晴れた朝。皆が家を出発したあと。私は畳にじゅうたんを引いたその部屋で、散らかった衣服をせっせとたたんでいた。コンタクトレンズをつけていなかったので、世界はぼんやりしていたが、その代わり聴覚はクリアだったのだろう。カサカサカサカサ……障子のふすまの木の枠の方から、そんな音がかすかにした。視線をそちらに向けると、すべてが「静」の世界に、一点の「動」、黒い影。少し近づいて、目を凝らした。流線形のこげ茶色の体躯と、そこから伸びてもぞもぞと動く、長い触角。
あぁ、ゴキブリだ。なんだ、桟(さん) [4] を歩いてるのか。
そんな細いところも歩けるのか。落っこちないかな。
妙に穏やかなのが不思議だった。ゴキブリがふすまから廊下にむけて消えていくのをみとどけると、私は、また何事もなかったかのように衣服をたたみはじめた。きっと誰かに食べられるのだろう、という、つきはなした哀しみもあった。同時に、何か世界が小さく反転したような気がした。ゴキブリが「歩く」のを、まさにそのことそれ自体として単純に感受できたこと、それは、滑稽で壮絶なドラマの末のささやかなご褒美のようにも思えた。大げさかもしれないが。
ゴキブリの足音を聴いてから、私はゴキブリを一度も退治していない。もちろん好きでもない。ただ、ふーん、としか思わなくなった。身体が先に動き出すのであり、頭で理解したり制御しようとしても限界があるから、また次出たときにどうするかはわからない。ただ、理性だけでは克服できないことも、知らぬ間に起きた身体の変容によって受け入れられることがあると知った。
それは一種の諦めでもある。実際、ふーん、と思いながら見逃すとき、汚いものをそのままにしているような、例えばテーブルにはねた油をそのままにしているような、自分が怠けものになってしまったような気分になることがある。しかしこの諦めは単なる怠惰とも違うと思う。それは身構えを要する。この身構えは、自覚的に身につけられるものでも(おそらく)ないし、侵入者に遭遇したときにしか意識化されない。古民家で過ごした濃い時間は、私にこの捉えがたい身構えをとらせるのに十分だった。
しかし、どこまでいっても消えない外部がある。ゴキブリをみてふーん、とそれを見逃すとき、私はどこかで、獲物を鋭く知覚して活動しはじめるクモや、それに類する存在を想定している。そして、その存在者がボスのように君臨できるのは、おそらくいまだ私が克服できていない、ネズミやムカデといった「外部」がその先にあるからなのだ(ネズミが出た後に遭遇したとき、アシダカグモに対する心理的ハードルがぐっと下がったのは紛れもない事実である)。その外部は、ついぞ崩されることはないのだろうか。
一か月前、私は古民家を出て、大都会に引っ越してきた。ビルや高層タワーがたち並び、高速道路や線路が空を横切る。唯一空がひらけるのは、川の上だ。東京湾からさほど離れていない下流域なので、川幅はかなり広い。水は濁っていて底は見えないが、太陽の光を反射してきらきら光る。この川に架かった橋を渡りきって交差点をわたれば、家につく。
先日、川沿いに並ぶ飲食店の裏口沿いで、わたしは確かにネズミを目撃した。ゴミ箱のふたからガタンと音を立てて、それは外に出てきたのだ。あっ。思わず声がでた。聞けば、川にはたくさんのネズミが泳いでいるとか。私の外部が崩される日は、来るだろうか。
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[2] 瀬戸口明久(2014)『害虫の誕生――虫から見た日本史』、ちくま新書。
[3] 種差別は「ある種が他の種よりも本質的に優れていると信じること」をさす。心理学者のリチャード・ライダーが提出した概念で、ピーター・シンガーの『動物の解放』(1975)で広く知られるようになった。
[4] 障子の木枠。