10素描

幾つもの生を生きる

2022.11.9 井上菜都子



 あるインフォーマントが、そのフィールドでの生活を「寝て、食べて、出して、食べて、寝て……毎日この繰り返し」と表現した。この何気ない表現の重さが私になじんだのは、約一年半のフィールドワークが最終局面に差しかかった頃だったように思う。これから私は日本のどこかの、とある介護施設でのありふれた一場面を描いてゆく。どうか私の肩越しに、あの時あの場所へ没入してみてほしい。民族誌は読者がいてはじめて成立する。

 おそらく私はなに食わぬ顔で「失礼します」と言って居室に入り、ドアに立ち入りを注意する掲示を貼り、鍵をかけた。ベッドには一人の女性が横たわっている。彼女の名前はT、この居室の住人である。介護用ベッドと洗面台、箪笥、リクライニング・ティルトタイプの車いすが並ぶ10畳ほどの部屋には大きな窓から朝日が差し込んでいる。私の上司であるMが、Tのタオルケットを取る。私はMの隣に立つ。そして「お腹が苦しい」と微かに訴えるTのテープ止め を開けて、便が出ていないかを確認し、彼女の腹を素手で触る。Tの白く柔らかい腹は、大きく水平に、餅のようにベッド上に広がっている。図鑑で見慣れた人体チャートの想定しない「例外」が、施設利用者らそれぞれの固有の身体に現れていた。

「苦しいけど(便が)出ないなら、看護に確認してみようか」と言うMとともに、私は一度居室を出る。ナースステーションで看護師に言づけたMは、廊下で誰かに電話をかける。


「Mです。Tさん……井上さんと一緒に入ってもいいかなと思って。それともKの方がいい?……ああ、じゃあ入りますね。」


Kは8月ごろに入職した新人だから、私ではなく彼女に介助を経験させようと思ったのだろう。電話口の誰かは、Mの提案、つまり、私にTの排泄介助を手伝わせることを飲んだようだった。


 この施設では、「排泄介助」という言葉は避けられる。「私的」な場所である利用者の居室でも、廊下のように「公的」とされる場所でも、その出来事はあからさまには言われない。一見、職員たちには日本の医療・福祉分野、および身体障害者支援に特有の権利擁護教育が行き届いていた。糞尿それ自体や臭い、それらを想起させる言葉や物品は、ここで目指すべき規律正しい生活からは排除せねばならない要素のひとつであり、排除は達成されている。しかし、これを読んでいる多くの人々がすでに知っているように、それらは滲み出て、規律を攪乱する。この施設の自動ドアが開いた瞬間から感じる不思議なにおいは、人間の尿のにおいだった。病院の清潔な消毒液の匂いでも、不潔な公衆トイレやボットン便所の臭いや、死臭でもない。ここは、尿が生体恒常化作用の外側へ排出されて細菌が大繁殖する、その手前の曖昧で活力に満ちたにおいが広がる場所だ。

 利用者も職員も、私のインフォーマントたちは浣腸や摘便による排便を「コントロール」と呼んだ。対して、飲み薬などを使用した排便は「自然排便」と呼ばれる。ほとんどの利用者は重度身体障害によって四肢麻痺の状態にあるため、身体を動かしたり、体勢を変えたりする機会が少ない。利用者の消化・吸収器官の蠕動運動不足にともなう慢性的な便秘が、世話を担う職員たちにとっても悩みの種だった。経口摂取であれ、胃瘻や静脈からであれ、栄養を取り込むこと自体は比較的容易である。しかし排出が生を存続させるための大きな障壁なのだ。

 また、4~5人の職員が16人の利用者を世話して回るという施設介護の性質上、効率性と安全性の両立のために、職員には作業動線が用意されていた。睡眠や排泄をはじめとした利用者の身体のリズムは毎日規則正しく遂行される食事や余暇を通して、ある程度、予測可能なものへと変化していく。

 ここで問題となるのが、外部からのアプローチでは管理しきれない排泄の滞りだった。利用者の排泄のタイミングや排泄にかかる時間などは日々記録されており、その記録をもとに「自然排便」のための投薬も、「コントロール」のための浣腸も定期的に行われていた。この「コントロール」と動線表が、職員を過労から守り、他者に巻き取られる契機から守り、利用者の生を可能にしていたとも考えられる。だが、実際の排泄は計画通りには起こらない。だから、排泄介助が間に合わずにベッドや服を「汚染」したり、逆に、出ると思った便が出ずに利用者が職員から小言を言われる場面が頻発したりする。不定期での夜勤を繰り返す職員たちは、次第に身体のリズムを崩していき、「今日、昨日、一昨日が解らない」「今日が何曜日か解らないから利用者に訊こう」という会話が頻繁に飛び交う。まるでターミナル駅の時刻表と乗換案内のような複雑さをもって彼/彼女ら日々の生活が編まれていた。


 フィールドに戻ろう。私たちは介助の物品を揃えたあと、Tの居室へ帰った。行き違いになったが、看護師がTに浣腸を施しているはずだ。用意をおえたMがベッド上のTの左腰のあたりに、私はTの顔のあたりに立つ。そして彼女の身体をこちら側――Tからみて左側――に倒す。臀部が見える。Mが「ちょっと平らにするよ」と言って腹を軽く押すと、少しずつ音をたてながら液状の便が流れ出た。押す位置を変えつつ腹を圧迫し続ける。Tの肩を支えている私の腕の下で、彼女は苦しそうに顔をゆがめる。フィールドワークを始めたばかりの頃は排泄物の臭いのつよさに思わず嘔吐きそうになっていたが、ここで一年近くを過ごした私はすでに臭いの衝撃に慣れている。意思疎通がかみ合わず、どんな働きかけをしても間主体的に繋がる手ごたえを得られず、相手の世界から自分がはじき出されているような感覚に陥ることも多い。そのような環境を生きたとき、便の臭いは彼女たちが同様に今・ここで確かに生きているという現実を強く実感させる手がかりでもある。

 Tを仰向けに転がし、ビニール手袋をはめた手で彼女の股を開かせると、私の隣にいたMは「水泡ができてるよ」と声をあげた。陰部の左、太ももに近い部分に水泡があるのを私も確認する。導尿カテーテルが皮膚に触れ続けることで炎症をおこしているのだろう。テープ止めの吸水力やフラット の大きさ、石鹸の泡立ちなど介護用品それぞれの特性を利用してどのように陰部を洗浄するか、そんな話をしながら介助を見守る。

 汚れたテープ止めとフラットをとり除き、新しいものを敷いた頃に、再び便が流れ出はじめる。排泄介助はやり直しだ。Mと私は何も言わず対処していくが、Tは申し訳なさそうに「すいません」と謝った。2人して「いいじゃないの」「すっきりしますね」と彼女の負い目を打ち消そうと声をかけるが、彼女は謝りながら「はい」「何だか刺激があったようで」などとか細い声で言っている。Mはといえば、「ご飯前でよかったね」「やっぱりコントロールは午前中だよ」と何だか嬉しそうに笑っている。

 新しいテープ止めを着けた後、Mがベッドのそばを離れた少しの間にまた便が流れ出た。不安げなTをよそに、Mは「うわあ、楽しみだな」と呟いて、3回目の排泄介助をはじめた。テープ止めを再び開こうとするMの手が、興奮している。Tの腹の音や震え、動きから便の移動を感じ、背中の感触から彼女の肩に力が入るのを感じる。柔らかな皮膚と脂肪、微かな筋肉のこわばり、汗の湿り。私は彼女を感じとって笑ってしまう。私の手や声から、Tは私の笑いに気づいているだろう。Tは「来る」「出てる」というように状況を報告してくるが、言われるまでもなく、私はすでにそのことに気づいている。ここでは嘘や体裁は使い物にならない。それが何よりも心地よい。


 消臭スプレーを居室内に振りまき、ドアを開けると、廊下と居間の生ぬるい空気が流れ込んできた。他の居室のドアも開いていて、数台の車椅子が居間に並んでいる。私たちがTの居室にこもっている間に、他の利用者たちの排泄介助と車椅子への移乗も終わっていたようだ。私の前を足早に横切る職員からはナースコールのけたたましい呼び出し音が響いた。テレビのワイドショーは物々しく不特定多数に話しかけ、キッチンのシンクに水が跳ねる……騒々しい木曜午前が過ぎていく。


 実のところ、私はTの排泄介助に関わることも、見ることも公的には許されてはいなかった。施設側から「フィールドワーク(井上さん)ケア見学/実施 確認表」という表が用意されており、その表中でTは、フィールドワーカーとしての私がTの排泄介助に関わることを認めていなかったからだ。私と利用者それぞれの安定的な関係は、フィールドワークがはじまる前から表の中に用意されていた。しかし、あの時すでに、私たちは平面的な一覧表の枠外へと溶け出していた。

 Tは「学生の井上さん」が介助に入ったことを最後まで気にしていなかったと思う。私は彼女から「井上さん」と呼ばれたことは一度もなく、最後まで自分から何か打ち明けることもなかった。彼女との関係における私は、学生なのか、職員なのか、はたまた「井上」という名の人物なのか……といった飾りがはがされた「私」そのものだった。

 職員たちのなかでも私は明らかに彼女を「甘やかして」いた。何かに慄き、身体を、自分をどうしようもないと嘆き、他人を罵り、声を荒げる彼女を放っておけず、他の利用者たちよりも彼女を気にかけて助けていた。フィールドワーカーとしても、彼女に特別思い入れていた。私には入れない介助があって時間が空くと、そのたびに彼女の居室へ行って話をした。彼女についての記録を漁り、彼女から見える場所に姿を現さなくても、彼女の叫び声を忘れないようにノートに書いた。

 資源分配の平均化と業務の効率化という施設の経済的視点で考えれば褒められた行為ではない。同時に、社会関係的視点からしても、その関係は管理者たちが危険視する「なれ合い」だった。多くの職員が利用者や職員同士の「なれ合い」に悩み、精神的にも身体的にも疲れ、辞めていった。ここを去ると決めた職員たちは何かを振り切ったように明るい表情を見せるから、いつ誰が辞めるかは発表される前から解るのだ、と利用者のひとりが教えてくれた。

なぜこれほど関係が複雑化するのかと問う私に、ある職員がかけてきた言葉が蘇る。


「なれ合って、相手の本当でない、違う姿が独り歩きしはじめる。本当にその人がどう感じているかが置いてけぼりになっていく。職員が利用者を巻き込んで、利用者が職員を巻き込んで、職員が職員を巻き込んで、誰かを独り歩きさせていく。善いケアと悪いケアは紙一重なの。」


 その職員は、私が「なれ合い」に取り込まれていると忠告したのだろう。延々と繰り返される日々は、お互いが相手の視点を取り込んでいくプロセスの連なりだ。利用者も職員も、相手を繊細に観察して推察し、相手と自分の距離を測っている。利用者と職員、被介助者と介助者という安定的な望ましい距離間が揺らいだとき、職員が施設全体にまんべんなく払うべき関心は、特定の人物・現象に集中していく。その揺らぎを「なれ合い」と呼んだのではないだろうか。互いが互いの人格の一部を内包し、過度に含み込み、知らぬ間に独り歩きさせている。「相手の立場になって考えなさい」というありきたりな文句では取り繕えない、他者の生をこの身に引き受けることの危うさがここに現れている。

 Tは、利用者たちのなかでも特に小心者だった。少しでもこちらが緊張した態度をとり仰々しい振る舞いをすれば、彼女も警戒して目を逸らし、こぶしを握る。こちらが有無を言わせず彼女に接触することは可能なのが、全身で拒絶される。しかし、私が一介の職員のように勝手に動きまわり、他の職員や利用者たちも私が誰であるかを問題視しなくなったころから、Tは私を警戒する素振りを見せなくなっていった。自分のもとを訪れる人びとの言動から私の立場の変容をゆるやかに感じとっていたのかもしれない。私は、飾りをとり払った「私」という人間とTとの関係のうえで排泄介助に入ることについて、Tは拒否していないと感じていた。それゆえ、あえて排泄介助に入った。

 しかし、もしその見立てが間違っていたらどうだろうか。あの職員の忠告のように、私が見ていたものが独り歩きさせた「本当でない」Tの姿だったとしたら。彼女が私を学生だと知っていたとしたら。意思が尊重されない、尊厳を否定する悲惨な介助をうけたと訴えたとしたら。その訴えが第三者委員に知れたら。人権の尊重という原理でものを考えるならば、負けるのは一覧表に倣わなかった私と、私を監督しなかった職員たちだ。本当の他者も、自分の感覚もあてにはならない。

 私はTがあの状況を楽しんでいると短絡的に言いきるべきではないと思うし、彼女の負い目はそれとして肯定したい。しかし、様々な秩序から「汚穢」とされるだろうこの一連の出来事に隠れる、一抹の高揚感を記述から取りこぼしたくはなかった。ときに秩序から逸脱する互いの姿を隠して否定したり、屈辱と汚さにまみれたりしながらも、ときどき訪れる自他の生が共鳴するこの興奮に身をゆだねることを、心底快く感じる。それは私が、自他の変容と、その肯定に身をまかせて言葉をつなぎたいと願っているからだろう。この民族誌は、理性的で規律だった一覧表からの逸脱、そこでの主体性と政治、予測可能な生の管理、臭いとスティグマ、場違いな笑い、研究倫理、職業差別……何重にも重なった論点を含むはずだ。もしかすると私が意図しなかった論点を、読者は引き出すかもしれない。読者が追体験可能な深さをもって、文章から「におう」民族誌を提示できているとすれば本望だ。