第17素描
嗅覚の地理
2023.7.4 原口剛
2023.7.4 原口剛
横浜・寿町にて
もう20年ほど前のことだろうか。はじめて横浜のドヤ街・寿町をおとずれたときの経験を思い出す。関内駅に着いたころには、とっくに日は暮れていた。なじみだった大阪の釜ヶ崎が新今宮駅の目の前に広がるのとはちがって、寿町は関内駅からやや離れた場所にある。頭に入れておいた地図をたよりに歩き出したものの、ドヤ街にたどり着けそうな気配がない。さすがに不安になりはじめ、地図を広げて確かめようかと思い始めたとき、なじみのにおいがうっすら漂っているのを感じ取った。釜ヶ崎や山谷の街に共通する、労働者の街ならではの、表現しがたいあの「におい」だ。導かれるままに歩みを進めるうちに、だんだんとにおいは強くなっていく。ほどなくしてドヤ街の景観が目に入り、ぶじに寿町にたどり着くことができた。
この日の経験に、当時の私はちょっとした感激をおぼえたし、いま考えてもなにか深いものがあるようにおもう。現実の地理は、目に見えるものだけで構成されているのではない。そこにはたしかに、地図化しえない「感覚の地理」というべきものがある。地理学の学史を振り返れば、かつてイーフー・トゥアンやエドワード・レルフら人文主義地理学者は、「場所」という概念を提起することで、地理学に身体や感覚や感情を取り戻そうとした。だが、そんなかれらの議論にあってさえ、嗅覚にはたいした役割が与えられなかった。ドヤ街という場所にとって、街に漂うにおいがその場所のなんたるかを伝える要素だとすれば、「身体を取り戻す」と謳いながら嗅覚には冷淡だったレルフらの議論は、どうしようもなくエリート主義的であるようにすら思える。
松原岩五郎『最暗黒の東京』
これとは対照的に、下層労働者の世界へと接近しようとした文学者や記録者には、「におい」の表現への尋常ならざるこだわりがあるようにおもう。「嗅覚の地理」を鋭敏に捉えた書き手は誰かときかれるならば、私が真っ先に挙げたいのは、松原岩五郎の『最暗黒の東京』である。明治初期の東京に広がっていた「貧民窟」を探索する松原は、当時の木賃宿(ドヤ)の内側の世界を、たとえば次のように描き出す。
嗚呼木賃なる哉、木賃なる哉、木賃は実に彼等、日雇頭、土方、立坊的労働者をはじめとして貧窟の各独身者輩が三日の西行、三夜の芭蕉を経験して而してのち慕い来る最後の安眠所にして蚤、シラミもとより厭うところにあらず、苦熱悪臭また以て意となすに足らず、彼の一畳一人の諸込部屋も五六の破れ蚊帳に十人逐込の動物的待遇も彼等のためには実に貴重なる瑤の台にして、ここに体を伸べ、ここに身をひろくして身体の疲労を快復しもって明日の健康を養い、もって百年の寿命を量るにあれば、破れ布団も錦纏の衾にして、截り落しの枕もこれ、邯鄲の制作なりと知るべし。
(松原岩五郎『再暗黒の東京』現代思潮社、1980年、22-23頁。)
1893年に刊行された『最暗黒の東京』は、のちに横山源之助が著した『日本の下層社会』(1899)や『職工事情』(1903)の先駆として知られる。「先駆」といえば聞こえはいいのだが、じっさいは松原にあって未成熟だった貧民への認識が、横山源之助によって到達をみたとする評価が一般的だろう。たしかに横山の仕事は、それまでの「貧民窟」ルポルタージュとは一線を画し、各種の統計を駆使して明治日本の都市貧困の全体像を照らし出した。その手腕は、圧巻というしかない。だが、松原のルポルタージュが横山の社会調査へと「発展」するなかで、削ぎ落されてしまったものがあるのではないか。かくいう私自身も大学院生だったころ、頼りにすべきは横山源之助の記述であって、『最暗黒の東京』のような書物はおもしろいけれど「調査」と呼ぶには荒削り、というふうに捉えていたように思う。けれど最近になって読み返すと、むしろ松原の記述の「ただならなさ」に圧倒されてしまうのだ。
まるで塔の上から見下ろすように貧民街を俯瞰する横山に対し、松原はあくまで「貧民窟」にとどまり、住民たちのざわめきに身を置いたまま筆を走らせる。だから、横山の調査報告では消えてしまった貧民街の「におい」が、『最暗黒の東京』にあっては、ページのすみずみに漂っている。そのように言うのは、上述の引用文中の「苦熱悪臭また以て意となすに足らず」という表現のような、直截的な表現だけを指してのことではない。たとえば前田愛が『都市空間の文学』において指摘したように、松原のルポルタージュを特徴づけるのは、「貧民窟」の雑多な食物や、それを食する住人たちのエネルギーの過剰さである。そこから沸き上がるにおいを、感じないわけにはいかないだろう。こうして松原は、地図的表象にたよることなく、「嗅覚の地理」をつかみとったわけだ。
『パラサイト』と階級の知覚
におい、というテーマでもうひとつ思い出されるのは、ボン・ジュノ監督『パラサイト――半地下の家族』(2020年)である。本作において、「半地下」に住まう貧しい家族は、鼻持ちならない優雅な金持ち一家に取り込み、その生活を吞み込んでいく。かれらはじつに巧みな演技と偽装で潜り込んでいくのだが、ある決定的な瞬間にその戦略はほころび、やがて物語は惨劇へと向かっていく。かれらが発するにおいに、「主人」が顔をしかめ、違和を感じるシーンがそれだ。この些細な反応のうちには、富裕層の貧民に対する嫌悪が凝縮されている。それはまた、貧困にあえぐ家族の憎悪をかきたてるに十分すぎる所作でもある。つまり、階級は鼻孔に宿るというわけだ。嗅覚とは、階級「意識」の手前にある階級の感覚に、ことさら鋭敏に反応する知覚なのだろう。
そう考えると、においをめぐる日常の様々な場面にも、重大な問いが潜んでいるかもしれない。たとえば気になるのは、発送した荷物を我が家に運んでくれる宅配労働者のなかで、おそらく消臭対策を施しているだろう人が、いつの時期からか増えたように思われることだ。とあるウェブサイトは「軽貨物ドライバーにおすすめな便利グッズ16選」のひとつに消臭スプレーを挙げて、こう書き添えている。「最近はドライバーのにおいに関するクレームが増えていることから、『ファブリーズ』や『消臭力』などの消臭スプレーも一本車に積んでおくことをおすすめします」(https://karukamo.info/goods/)。どうやらこの国では、重労働のなか汗をかくことすら許されないらしい。もっと踏み込んで考えるなら、そこに見いだされるのは、荷物を運んでくれる労働者を必要としていながら、労働者を遠ざけたいという歪んだ欲求なのではないだろうか。
もうひとつ、気になる事例をあげよう。いまや大阪の政治は維新勢力に乗っ取られ、その覇権は他府県に広がりつつある。「大阪維新の会」が自分たちの功績としてしきりに持ち出すのが、たとえば天王寺公園の私有化(民営化)による公園の改変だ。かれらが誇らしげに言うには、公園をショッピングモールへと改造することで、公園経営から得られる利潤は増大し、見た目もきれいになった。だから、公園は「よくなった」のだという。無料であるべき公園で商業活動をゆるせば利潤は増大するだろうが、公園利用の公平性は踏みにじられてしまう。これは都市の行く末を左右する大問題なのだけれど、ここでは深入りしないでおこう。いま注目したいのは、「きれいにすること」がまるで重大な政治課題を克服したかのように宣伝される状況である。そこには、街や公園が「きれいになること」は、文句なしに「よいこと」であるに違いないとする確信が顔をのぞかせている。その内実にあるのは、労働者階級や貧民を遠ざけたいという欲求ではないだろうか。
ジェントリフィケーションと「消臭」
貧民や労働者階級を遠ざけようとする欲求は、いまや世界じゅうの様々な都市を蝕み、都心での立ち退きの暴力をもたらしている。それは、「ジェントリフィケーション」という言葉で知られる動向だ。この言葉にどのような訳語をあてるのかには議論があるのだが、おそらくもっとも正確な訳語は「富裕化」だろう。けれどもほかに、いくのかの国では「社会浄化」と呼ばれたりもする。もともとも定義からややずれるのだけれど、「社会浄化」という言葉は、日本の都市で起きている問題のひとつの側面を、的確に示しているように思う。
ジェントリフィケーションのもっとも重大な問題は、立ち退きである。世界の都市では多くの場合、貧しい労働者が暮らす街は、だいたい都心に位置するものだった。そのような地域では、劣悪だけれども家賃の安い土地や家屋が残され、貧しい労働者やマイノリティがかろうじて住処を見出すことができた。そしてその土地のうえに、長い歳月をかけて、自分たちのコミュニティや文化を築いてきたのである。ところが、ある時期(最初に「ジェントリフィケーション」が観察されたロンドンにおいては1960年代)を境に、そのような都心の土地は、不動産業者や金融業者にとって新時代の「開発のフロンティア」とみなされるようになった。そうして新たな開発資本が投下され、裕福な住民が招き入れられることで、家賃や地代の上昇により住民が住めなくなったり、ときには暴力的に追い出されたりする事態が引き起こされた。そのような現象は過去数十年のあいだに世界の各都市へと広がり、「プラネタリー・ジェントリフィケーション」という言葉が示すように、いまや「惑星的」な規模の問題へと発展した。
厄介なことにジェントリフィケーションは、ただ街を均質なものにさせたり、ユニークさを消し去ったりするようなものではない。むしろジェントリフィケーションは、「売り」になるような街のユニークさを必要とするし、無理矢理にでもつくりだそうとする。だから、労働者街が長い時間をかけて培ってきた、たとえば「人情」や「下町らしさ」といった特性は、「お客」や消費者を呼び込むための「売り」として残されるだろうし、過剰に演出されることにもなる。
だから私たちには、「下町の人情」という言葉ひとつをとっても、「売りになる人情」と、もともとの「生きられる人情」とを見分けることが必要だ。では、「生きられる人情」と「売りになる人情」とは、いったいなにが違うのか? この問いにはさまざまな視点から考えることができるだろうが、ひとつ考えられるのが、まさに「におい」という要素である。冒頭で述べたように、寿町や釜ヶ崎や山谷のような、労働者の生々しい生活空間は、独特のにおいを生み出すものである。この「におい」は、そこに住む労働者にとってはなじみのものだろう。あるいは、松原岩五郎のような飽くなき探索者にとっては、新鮮な驚きと畏怖の念を抱かせるような要素である。けれども、「お客」や消費者にとっては、事情はまったく異なる。消費を期待してやってくる人びとにとってその独特のにおいは、顔をしかめるような、余計なものと感じられるだろう。「生きられる人情」が「売りになる人情」へと変えられていくときに消し去られ、それゆえジェントリフィケーションの兆候となるのは、「におい」の消失、ではないだろうか。この意味で、ジェントリフィケーションはたしかに「社会浄化」であり、「脱臭」なのだ。
共生だとか、共存だとか
思い起こすべきは、もともとの「生きられる人情」とは、その土地に住まう労働者や住民が生きるなかで、長い時間をかけて生み出したものであり、いわば民衆が共同でつくだした共有物であることだ。ジェントリフィケーションは、そのうわずみを盗み取り、「売りになる人情」へと仕立てながら、そもそも「人情」を生み出した担い手を追い払ってしまう。こうして「きれいな下町」、もっといえば「商品としての下町」が出来上がるわけだが、それこそ都市の自滅行為ではないだろうか。人情をつくりあげた当の住人を追い出しておいて、「きれいな下町」が長つづきできるはずもない。結局のところそこには、きれいで、明るくて、そしてひたすら虚しいだけの、ガラクタの空間が残されるだろう。
アンリ・ルフェーヴルが、都市とは出会いの空間であると強調したことを思い出そう。出会いにこそ、かれは新しいなにかが生み出される可能性をみた。さて、たぶん日本語表現のせいだろうと思うのだけれど、「出会い」というと、予定調和的なニュアンスがどうしてもつきまとう。けれどルフェーヴルが言いたかったのは、緊張や矛盾、葛藤や対立すら孕んだ、もっと野蛮な「遭遇」だったのではないか。
いまもむかしも図書館では、野宿のひとが本を前にして座っている姿をみかけることがある。本を読むために座っているのか、身体を休めるために本を開いているのかは、どうでもいいことだ。本が、そのひとを支えていることに変わりはないのだから。図書館の静けさのなかでは、野宿のひとの存在の違和は、きわだって感じられるかもしれない。じつはそのような場面こそ、共生だとか共存だとかの言葉が真に試される瞬間だろう。そのとき私たちは、たしかにおなじ空間を共有しているのだから。そして、その出会いを支えるのが本だということが、とても重要であるように思われるのだけれど、どうだろうか。