第13素描
よだれかけと、ちぐはぐなイメージ(2)
2023.2.8 中村沙絵
2023.2.8 中村沙絵
絶え間ない「対話」
技術は小さな希望をもたらす。それはときに人生をひっくり返してしまうくらいの、強いインパクトをもつのかもしれない。
パドマニにとっては、徐々に進展する病気の不条理さを表す最たるものが、排泄の失敗や流れ出るよだれだったのだろう。そして、「よだれが口の角からあふれ続ける」事態に、来る日も来る日も対処することになった彼女の手元に供されていたのは、幼児用のよだれかけと、普段使いのハンカチくらいのものだった。心もとない。絶望したかもしれない。
ただ、いくら技術や装置を駆使したところで、病気の不条理さや身体の過剰さから「解放」されるわけではない、というのもまた事実である。
第一に、新たな道具を生活の一部にとりいれるか否かは、患者本人にとってはときに苦渋の決断、しばしば「共存のための妥協策」として受け入れられる、ということがある。例えばまだ少しでも身体が動くときに、身体機能を補うような技術や装置をとりいれることは、そうした残存機能を手放して「障害者」になることだと、消極的に捉えられている。川口は、普通のトイレで用を足すことにずっとこだわっていた母親が、周囲の者たちの腰痛や疲労や友人の滑稽な排泄介助といった事態を経て、ようやく尿器をつかってベッド上で用をたすことができるようなったことにふれ、次のように述べる。
本人に植え付けられた尊厳意識を塗り替えてもらい、生活上の優先順位も入れ替え、合理的で効率諦な生活を望むようになったときに、初めて患者は紙オムツをはじめとする介護用品や医療機器の真価に目覚めていく…(p.128)
母親がトイレでの排泄を諦めたことが「介護者との共存のための妥協策」(p.128)であった、というのは、次のように説明できるだろう。まず妥協策であるというのは、新しい装置を取り入れることは、がんばればできることをときに諦めることであり、老化や身体障害に対する偏見や恐れを塗り替えることをふくめ、根本的な意識の塗り替えを要請する、ということを意味する [4] 。そしてその妥協は誰/何のためかというと、自らの身体を健康・安全に維持するためであり、且つ、周りにいる者、大切な者たちと一緒に生きるためである。つまりそれは一緒に生きるために「ゆだねる」という行為だ。このように、新しい介護機器を取り入れることは、解放というよりむしろ妥協であり、ゆだねることでもある。
第二に、介護において新しい技術・装置をとりいれることは、すなわち(唾液や排泄物、吐しゃ物などを含む)身体の過剰さをなくすることを意味しない。それに別様に対応することだ、ということがある。先述の川口(2009)やマーフィー(1992)などの著作は、ある装置や技術を取り入れることがいかに絶え間ない「対話」を駆動するかを教えてくれる。患者は、身体の各箇所が脱力し、麻痺していくのに応じるようにして、車いすや杖、身体に接しているシーツや枕などの物品、気管カニューレやナースコール等のために取り付けられた機械など、様々なモノを身体の一部とし、これらを介して外部の世界と交渉しはじめる。介護者の側もまた、徐々に動かせる範囲が狭まってくる患者に代わって、患者の身体、これをとりまくモノや装置、周囲の環境とのインターフェースに注意を向け、あぁでもない、こうでもないと、終わりなき微調整に臨むことになる。麻痺が進行するたび、また身体のもつ過剰さゆえの思いがけない事態(管が汚れる、抜ける、傷口が治らない、菌が繁殖する…)が起きるたび、この再身体化と微調整は試みられ、却下されてはまた新たに試される…をくり返す。このような「病んで静まった身体との『対話』」は最期まで活発に続いたと、川口は述べている(p.114)。
「君はまだトイレなんてものを使ってるのかい?さぞ面倒だろうに」というのは、VTR上で、先述したスコット=モーガン氏が彼のパートナーに向けて冗談まじりに放った言葉だ。それは、すっかりサイボーグになった彼が「健常者」の常識を鮮やかに覆す言葉ともとれる。実際、彼も、またそのパートナーも、一連のプロジェクトを「謀反・抵抗(rebel)」と呼んでいる。しかしこのrebelのプロットには好んで語られない現実もあったのではないだろうか。ついそんな深読みをしてしまう。
胃ろうの傷口が治りきらないとか、管が汚れるとか、抜けてしまうことはよくあることだし、機械(管)のどこかに菌が繁殖して異臭がしてきたり、予期に反して褥瘡ができたりするかもしれない。機械と合体して以降も、やはり最も身近な自然としての、水面下にその過剰さを湛えている身体が、終わりなき微調整を要請してきたのではないか。それらの要請は乗り越えられる課題として認識され、そのうちいくつかは(多くは)実際に技術的に乗り越えられたかもしれない。しかし、先述した川口(2009)を経由するならば、彼らの日常もまた、彼の傍で静かに微笑んでいたパートナーのフランシスさんやヘルパーさんを含みこむ、終わりなき脱/再身体化 [5]と微調整に満ちた試行錯誤のプロセスだったのではないだろうか、と思えるのである。彼らのrebelもまた、完全な麻痺へと沈んでいく身体を/と生きながら、大切な者と共に生きるための試行錯誤であったのではないか、と。このように解釈することは、彼らが広く世界に訴えかけようとした希望を挫くようなものではない。それはまた、ある意味で精いっぱいの抵抗ともいえるだろうから。そう考えたとき、隔たっているようにみえた彼ら「ネオ・ヒューマン」の世界と川口さんの世界、あるいはパドマニとアントニーの世界とは、部分的に呼応し始める。
嫌悪感のゆくえ
パドマニへの訪問の一場面が強い印象を残したのは、パドマニの嫌悪感の表出による部分が大きい。彼女はアントニーへの介護について話すとき、それは耐えられるようなものではない、とか、「誰も経験したことのない苦(duka)だ」、とか、あからさまな嫌悪感を示した。少なくとも日本の文脈では、身体から出る液体や排泄物への生理的嫌悪感を、赤の他人に、こんなにあからさまに表現するのは珍しいことだ。
しかし、そのとき私が悲嘆に満ちた老々介護とは違う印象を受けたのも事実である。私はこのエッセイを書きながら、そのことを確かめるべく、もう一度、パドマニを訪問した日に何枚か撮っていた写真を探しだして眺めてみた。
部屋を映した写真には、亡くなったアントニーの遺影の手前に飾られた、薄いブルーと白のバラの造花があった。また別の写真には、アントニーと映った、パドマニの若い時の写真。彼女が身にまとうドレスは淡い黄色に小さい花模様が施されたもの。そして、やはり淡いピンク色のよだれかけ。一見、浮いているように見えたその幼児用品は、パステル調を基調にしたこの家の内装と(おそらく彼女自身の好みと)絶妙にマッチしているのだった。
また、話を聞く限り特につらい思い出を喚起すると思われたよだれかけが、畳んで、白いふくろに入れて棚に大事にしまわれていたのも、素朴に考えて不思議な感じがした。子どものいないパドマニは、孫のためにとっている、ということも考え難い。一体、何のためにとってあったのだろう?
よだれかけをめぐる「ちぐはぐなイメージ」は、何を連想させるだろうか。今あえて、言葉にするとすれば——。それはただ、嫌悪感にひきずられて絶望した悲しい物語ではない。かといって、愛によって嫌悪感を「克服」した妻としてのパドマニを讃えるものでもない。そのちぐはぐなイメージが想起させるのは、嫌悪感を感じずにはいられない「近さ」において、彼とこれまでにはなかった関係を結び続けた、パドマニの生きざまのようなもの。
何事も、ある近さに入り、関係を取り結ばなければ(身体を没入させて同調をしなければ)、他人に対して私たちは生々しい嫌悪感を抱くことはない(cf. Durham 2011)。手の触れることのできる距離にいる他人の汚わいに、私だって嫌悪感を隠すことなどできない。しかしそんな嫌悪感を自分の内に宿しながらも、これと触れることを余儀なくされる生活のなかで、その他人とのあいだには不思議な近さが生まれていたりする。そう考えれば、生理的嫌悪感は、遭遇、近さ、あるいは親密さによって克服されたり、解消されたりするものではなく、むしろ決着がつかないまま、表裏の関係にとどまるようなもの、と捉えるのが適切かもしれない [6]。
先ほどのフレーズを用いるなら、よだれかけは、パドマニが、静寂へと後退していくアントニーの身体=人格と共に生きるための試行錯誤の記憶を静かに湛える、唯一のモノかもしれない。際限なく垂れてくるよだれを、ときに嫌悪感に苛まれながらも数分おきに拭き、よだれかけやハンカチを洗っては干しすることで、すでに壊れかけていたアントニーの人格を繕うようにして過ごした数か月を、それは証人のように静かに記憶している。そんなふうに私には感じられる。
引用文献
岡原正幸. 1998.『ホモ・アフェクトゥス——感情社会学的に自己表現する』世界思想社.
川口有美子. 2009.『逝かない身体——ALS的日常を生きる』医学書院.
前田拓也. 2009.『介助現場の社会学——身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』生活書院.
ロバート・マーフィー. 1992 (1987). 『ボディ・サイレント——病と障害の人類学』辻信一訳, 新宿書房.
Durham, Deborah. 2011. Disgust and the Anthropological Imagination. Ethnos, 76(2):131 –156.
箭内匡. 2018.『イメージの人類学』せりか書房.
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[4] マーフィーもまた、車いすが彼のからだの延長になったとき(それなしに生きていくことができない)、「奇妙にもこのことが私のプライドを深く傷つけた」(p.119)と述べている。
[5] 脱身体化・再身体化とはマーフィー(1992(1987))の言葉だが、これらは箭内(2018)の特に第9章において、「社会身体」とつながる重要な概念として、同著における脱/再イメージ化概念と重ねるかたちで独自に展開されている。
[6] 前田(2009)が岡原(1998)を引用して述べるように、排泄物に接して感じる嫌悪感というのは、(例えば感情操作による)「慣れ」によって本当に「消える」わけではない。関係を結び、介助者としてよだれや排泄物の処理に「慣れていく」とは、それをパフォーマンスとして成功裡に終えることを意味するのであって、本当に嫌悪感を感じなくなることではない。そしておそらくここが重要なのだが、こうした汚わいには「おそらく完全に『慣れてしまう』ことは決してない」。正直に言えば嫌だし、できれば避けたいが、どうしてもいやだというわけではない。この両義性、曖昧さがあるがゆえに、感情操作をしていても、(岡原のいうように)ふとした瞬間にそれは「失敗」しもするのだが、同時にこの曖昧さを保ちつつ、すなわち、他性や異化作用が消えない関係において関わりあうのが、介助の現実でありまた理想でもある。前田が克明に記録する介助の現場と本エッセイが扱う(特にスリランカの)現実との間には必ずしも共有していない文脈もあるが、排泄物への現場での感覚について書いている貴重な本であり両文献共に示唆をもつものであった。