第13素描

よだれかけと、ちぐはぐなイメージ(1)

2023.2.8  中村沙絵



よだれかけ

初老のアントニーとは2008年から親交があった。スリランカ南西海岸でのホームステイ先のお父さんの叔父にあたる。親戚からは「スドゥ・バッパ(白いおじさん)」という愛称で親しまれていた。物静かで穏やか、ユーモアのセンスは抜群。彼とは対照的に強気で快活な妻のパドマニを、とても大事にしていた。私のフィールドノートには、「関節炎で困っていると、スドゥ・バッパが洗濯をして、紅茶を淹れてくれた」などという、パドマニの惚気のような言葉が記されている。まさにシンハラ語でいうアーダレー、愛に満ちた人。

そんなアントニーの「よだれが止まらなく」なり、パドマニが彼を病院に連れて行ったのは、私が長期フィールドワークを終えて日本に帰国した2年後のことだった。診断名は「パーキンソン病」。症状は徐々に進行し、2018年の秋ごろから急激に悪化。2019年5月頃には寝たきりとなり、意思疎通もままならなくなったという。出産・育児もあってなかなか調査に行けなかった私は、結局アントニーやパドマニと腰を据えてゆっくり話す機会をつくれぬまま、2019年の夏を迎えてしまった。私がスリランカを訪れたとき、アントニーは既に亡き人になっていた。


姪にあたるホームステイ先のお母さんと一緒にパドマニを訪ねる。アントニーとパドマニには子どもがいない。パドマニはコロンボ郊外に立つ平屋の自宅に1人暮らし。私たちの来訪のことは電話で伝えていたものの、実際に会うと込み上げるものがあり、互いに体を寄せたり、さすったりしながら、笑顔で挨拶していた顔もみるみるうちにくしゃっと泣き顔にかわる。

アントニーの最期の話になる。なかなかお通じがなく、4日も5日も経ってものすごい量の便を漏らし、部屋中が汚れたこと。介護中、パドマニも一度調子を悪くして入院していたこと。近所に住む人たちが、糞尿にまみれた彼を洗って、服を着せてくれたこと。親戚がほとんどこなかったことを腹立たしく思っていること。パドマニはそれらの日々がいかに辛いものであったか、感情と嫌悪感をむき出しにして話す。


よだれ!!! これはただの苦しみではなかった。このような苦しみは私以外には経験したことがないと思う。よだれが溢れるのよ...ここから...(口の端に触れる)。

私は彼の口にずっと、布を当てておかなければならなかった…


唾液は口を潤すために分泌されるもので、普段は意識もせず飲み込んでいるため垂れることはない。しかし、口周囲の筋肉が低下して口を閉められなくなったり、飲み込む回数が減ったりすると、流れ出てしまうのだ。

パドマニは寝室に行き、棚から白いビニール袋を手に戻ってきた。彼女が袋の中から取り出したのは、丸っこくて小さいよだれかけ数枚。きれいにたたまれていた。少しくたっとした生地は何度も洗ったせいだろうか、ところどころ色が薄くなっている。薄いピンクのタオル地でできたそれらの中央には、小さいブドウや、妖精の顔の模様が縫い付けられている。デザインからして、幼児用のよだれかけに間違いない。パドマニはこれらを手に広げてみせ、椅子の上に並べると、「本当に大変な思いをした…」と、むせび泣いた。

アントニーが清潔に気を配る人だというのは、親戚のあいだでは有名な話だった。例えば彼は、死期が近いことを悟ったとき、「埋葬するときは、何が埋まっているかわからない共同墓地の土を掘り返し、棺の上にかぶせるのでなしに、海岸から運んできた白砂で棺の周りを埋めてほしい」と甥に真剣に頼んだという(そして実際そのように埋葬は執り行われた)。あるいは彼には、腰巻布を手指ではなく、両肘でぐりぐりっとあげる習慣があった。若い頃印刷会社で働いていたときに、インクで汚れた手で服を汚すことをひどく嫌い、いつも肘でズボンをあげていたのの名残だという。言葉数も出かける頻度も減り、常時腰巻布を着るようになってからも、彼の体に深く染みついたその記憶は抜けることがなかった。ぐりぐりっと腰巻布をあげる彼の動作を私も記憶している。

そんな「きれい好き」なアントニーの口からよだれがあふれ出る光景を、私は一度も見ていない。パドマニの怒ったような泣き声の先に、かわいらしい刺しゅうの模様、くたっとしたタオル地、若干ねじれた綿の紐、このよだれかけを首に巻いたアントニーがよだれを垂らして佇む姿を思い浮かべようとする。でも、どうしてもちぐはぐな感じがして、それらが一つの像を結ばない。


福音

だからあれ以来、よだれの記述を本に見つけると、反応してしまうようになった。難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患った母親を看取った川口有美子さんの『逝かない身体——ALS的日常を生きる』(2009年、医学書院)は、1ページごとに未知の世界が開示される感動的な著作だったが、そこにも「1リットルの唾液」という短い節がある。

医師に言わせればよだれの問題は水分補給の問題で、さほど心配することではない。とはいえ、唾液は「患者にとっても介助者にとっても不愉快」(p.149)なので、手をかけて介助する対象になる。その処理方法は様々で、「人柄がにじみ出る」(p.149)。吸引機で(ときに涙と一緒に)液体を吸う人。ティッシュでその都度拭きとる人。ガーゼを加えさせ、これを交換する人。首に巻き付けたタオルにしみこませる人。これが2000年代に入ると、ALS患者や介護者のアイデアから製品化された吸引装置が出回り始める。更にこの本が出版された翌年には、特別なカニューレを用いて気管からの低圧持続吸引をする「自動吸引装置」が製品化されている。

その実用化を待ち望んでいた川口がこの装置を「福音」(p.150)と呼んでいることは、他の数多くの心配事、対処が必要な事柄と同じように、「よだれを拭く」という一営為がいかに大変かを物語るともいえよう [1]。同時に、技術が製品化される背景には、患者や介護者などの当事者が、ときに生きていくことに絶望しながらも、具体的な課題を一つ一つ解決してきた無数の軌跡があるのだと知る。私は、パドマニがその試練において独りではなかったと感じて、少し安心する。

だが、その「福音」が当時、パドマニの手元にあったらどうだったろう、と考えなくもない。スリランカではオムツを筆頭に介護用品は値段が高く、都市に住む一部の人、子どもが海外から介護用品を送ってくれるような家庭を除いてはなかなか手が届かない。私が目にした多くの介護の現場では、あり合わせの材料を寄せ集めた器用仕事的な道具や、それからもちろん介護者自身の体の一部(手や口)を用いて、日々のケアが行われていた。よだれは垂れ流され、拭きとられる。痰はハンカチを口の中にいれて拭うか、直接鼻に口を当てて吸引される。

器用仕事的な、あるいは体を張った介護が悪いのではない。実際私はそうした(同地の老人ホームでは見られなかったような)行為を在宅ケアにみて、小さく感動もしたのだった。 

けれども、パドマニの怒るような泣き声を思い出しながら、たとえば「福音」について書かれた文章のようなものを読むと、技術のもつ影響力の大きさを思わずにいられない。


そういえば、川口の母親と同じくALS患者となったピーター・スコット=モーガン氏 [2] の事を知ったときは驚いた。ロボット工学を専攻していたという彼は、身体がまだ動いているうちに、先手を打つように身体の機能を機械に置き換えていった。食べられなくなる前から胃ろうを、自分でトイレにいけるうちから膀胱ろうや結腸ろうを完備。腸に直接つながれたカテーテルは車いすの後ろまで糞便を運び、そこに「無臭の固形物」が溜まる仕組みになっている。喉にはカニューレ。食道と気管は切り離され、空気を送る装置が気管に接続される。身体と一体化した車いすロボットに格納された生命維持装置は24時間体制で彼の呼吸を支え、水分を補給する。

彼は機械だけでなくAIとも融合しつつあった。気管カニューレを挿入した彼は殆ど声を失ったが、代わりに目の動きで入力された文章がAI搭載会話システムに入力され、彼の地声や表情を模倣したCGアバターが発話する。彼が考えていたのは、ともに生きるにつれて彼の思考法や感じ方を学んだAIが、次第に本人と見分けがつかなくなるような将来だった。車いすに寄っかかるようにして立つ彼の前には、液晶の画面があり、彼のアバター「ネオ・ヒューマン ピーター2.0」がこちらを向いてしゃべっている。


私は、自分の肉体に閉じ込められてしまう現実を変えたかったのです。ALSだけでなく、事故や病気や生まれつきの障害、老化や認知症もそうです。究極的には、誰もがそういう不自由さから解放されるべきです。幸運にも私はその第1号となりました。"ネオ・ヒューマン"として、未来に飛躍する最初の実験です。もちろん怖いですよ。しかし、絶望のさなかでも常識を打ち破り、宿命にあらがい、自ら運命を切り開くことで生きた証しを未来に残せるかもしれません。そのとき、私たちはすべてを変えられるのです [3]




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[1] この自動吸引装置はよだれだけでなく、主に痰の吸引を持続的に行う装置である。

[2] ピーター・スコット=モーガン氏については、クローズアップ現代HP(2022年10月最終閲覧)及び同氏が自ら記録した日記 “Dr Peter Scott-Morgan: A Lifetime Spent Rewriting the Future”(2023年1月最終閲覧)を参考にした。

[3] クローズアップ現代HP(2022年10月最終閲覧)。